今や日本の音楽シーンにおいて欠かせないバンドといえるスピッツ。
1991年のメジャーデビューから35年が経っても今なお愛される国民的バンドですが、彼らにももがいていたインディーズ時代がありました。
この記事では、実際にスピッツのインディーズ時代から彼らのホームであった新宿ロフトに通いつめたダレナノが、当時の実体験・貴重なライブ音源や画像を交えながらインディーズ時代の幻の名盤『ヒバリのこころ』を紹介していきます。
『ヒバリのこころ』はなぜ幻の名盤か
『ヒバリのこころ』というと、メジャーデビューのシングルかと思う方もいるかもしれませんが、この記事で紹介するのは、スピッツがインディーズ時代に唯一リリースしたアルバム『ヒバリのこころ』です。
2,000枚しか世の中には存在しないCDは、まさに”幻”といえるでしょう。
インディーズ時代のスピッツは「鳥になっちゃう日」という月一恒例のライブを演っていましたが、その舞台である新宿ロフトのレーベル「ミストラルズ・ミュージック」からリリースされています。

【リリース概要】
アルバム名:ヒバリのこころ
アーティスト:スピッツ
リリース:1990年3月21日(水)
レーベル:ミストラル
価格:2,060円(税込)
キャッチコピー:軽快なアコースティック・サウンドと透明な詞の世界



『ロビンソン』の大ヒットによって、その幻のCDの存在が認知され始め、
「聴きたい!でも聴けない!」
という状況のなか、その貴重さから一時期は10万円近いプレミアがついていました。
その後、2021年の『花鳥風月+』に全曲が収録されて、2026年現在、フリマサイトなどでの取引価格は3万円台からと落ち着いています。※中古市場価格は2026年8月時点で確認
36年も昔のアルバム『ヒバリのこころ』が色褪せない理由
『花鳥風月+』で聴いた方も多いと思いますが、このレベルの楽曲、演奏力、世界観をデビュー前から展開していたポテンシャルの高さに驚かれたのではないでしょうか。
スピッツの楽曲は、草野さんの詩の世界に注目が集まりがちですが、メンバーの演奏技術の高さこそ、最強の武器にして最大の魅力のような気がしています。
奇跡の集合体が作り上げたスピッツのプロトタイプ。
2026年現在、発売から36年も経った昔のアルバム『ヒバリのこころ』が色褪せない理由は、スピッツの本質の萌芽がみっちみちに詰まっているからではないでしょうか。

当時、西新宿のレコード店なら簡単に買えるだろうと思ってロフトのライブ前に探しに行ったところ、2軒、3軒とまわっても見つからず。
携帯電話もネット無い時代、足で稼いで見つけるしかなかったあの時の焦りは今でも覚えています。
結局、新宿紀伊國屋のCDコーナーで発見。無事購入することができたのでした。
『ヒバリのこころ』全曲紹介
『ヒバリのこころ』は全6曲と、アルバムといっても曲数は少なく、全体で約25分ほどの”ミニアルバム”といった構成です。
全曲をボーカルの草野マサムネさんが作詞・作曲しています。
| M-1 | ヒバリのこころ | 4:51 |
| M-2 | トゲトゲの木 | 4:21 |
| M-3 | 353号線のうた | 4:38 |
| M-4 | 恋のうた | 2:47 |
| M-5 | おっぱい | 3:53 |
| M-6 | 死にもの狂いのカゲロウを見ていた | 4:50 |
| 合計時間: 25:20 |
なかなかパンチの効いたタイトルもあり、飄々としながらもトンガっていた当時のスピッツを思い出します。
M-1 ヒバリのこころ
メジャーデビューのシングルでもあり、このアルバムでも1曲目を飾っていることから、草野さんにとって思い入れの強い曲なのではないかと思われます。

「あくまで個人の感想」として、いくつか曲についての思いを書かせていただきます。
曲へ込める思いは人それぞれだと思いますので「そういう考えもあるよね」というスタンスで読んで頂けると助かります。
「僕らこれから強く生きていこう」というエールを送る一方で、”逆の意味”を含んだ曲のような気がします。
・ヒバリ=声色を変えながら絶え間なく鳴きつづける鳥
・ヒバリと自身を重ねている
・二人称的なふたりの世界ではなく鏡合わせの自分を「僕ら」と言っている
・「目をつぶるだけで”遠く”へ行けたらいいのに」と無気力に身をゆだねる危うい自分を「両手でしっかり君を抱きしめたい」=自分を見失わないために抱きしめなくてはならないと思っている

生きていくために意図しないことを言ったりする自分に疲れてしまうけど、それでも強く生きていこう!という、自分に向けたエールなのかもしれないと思います。
そんな気持ちを忘れないためにもデビュー曲にも選んだのではないかなぁとか。
ちなみに三輪さんは当時、このMVで着用しているコーディネートがとてもお気に入りだったよう。
私が所有している昔の写真を確認すると、1990年10月13日と11月14日のライブ、どちらもこの衣装でステージに立たれています。

【そんな三輪さんのMCを少しどうぞ 「﨑ちゃんをイジる三輪ちゃん」】
M-2 トゲトゲの木
草野さんワールドが開花宣言を告げたような曲。
「鳥になっちゃう紙」(※)1990年6月25日号によれば、「最近メジャーな曲」ということで、この頃はかなり定番曲でした。
この曲の♪プーリラピーリラも、『晴れの日はプカプカプー』(※)の♪プカプカプーも、意味があるのかないのか分からない言葉をもってきて世界を想像をさせるのがうまい。

※「鳥になっちゃう紙」… 月一のロフトライブ「鳥になっちゃう日」で配られていた会報。
※『晴れの日はプカプカプー』… インディーズ時代のライブの超定番曲。
【『晴れの日はプカプカプー』はこんな曲 1990年6月25日「鳥になっちゃう日」より】
・スピッツの魅力のひとつともいえる、未知の世界へ誘われる系の曲。
・誘われて草野ワールドにやってきた人たちに「それぞれこの世界に勝手に名前でもつけてくださいな」とでも言っているような、聴き手の想像力が鍛えられるような名曲。
M-3 353号線のうた
「353号線」は群馬県桐生市を起点とし、新潟県柏崎市まで続く総延長182kmの国道です。(途中不通区間あり)
「鳥になっちゃう紙」1990年10月13日号によれば、「あの車(スピッツ号)が無かったらできてなかった曲」とのこと。
スピッツ号とは機材車としても活躍した中古のタウンエースで、「東北や北陸方面へ何度も旅行(放浪)した」草野さんの相棒のような存在。
そんなスピッツ号の旅で生まれた、初期スピッツ・ドライブソングといえるのが『353号線のうた』なのです。
そんなエピソードとともに地図帳で353号線を眺めながら「いつか行ってみたい。走ってみたい」と心躍らせていたものです。

【スピッツ号について語る草野さん 1990年6月25日「鳥になっちゃう日」MC】
・「缶ジュースを飲みたくて〜」から「空き缶さえ見つからない」という描写が秀逸すぎる。
・「地獄の入り口みたいな 真暗な森に入った」は四万川ダム手前の群馬県の中之条町あたりではないかと推察。この風景が真暗な夜だったら地獄の入り口みたいだと思いませんか?

Googleマップでの353号線の旅、おすすめです。
M-4 恋のうた
スピッツのインディーズ時代に『アイドル』という曲がありました。
「鳥になっちゃう紙」1990年6月25日号によれば、「同じ年に生まれて、もう年をとらないというO.Yさんに捧げます」と、当時の草野さんのライブMCのくだりが掲載されています。
当時からライブに通い、この曲を聴いていた私の個人的感想で恐縮ですが、この『恋のうた』もそのアイドルを頭の片隅において作ったのではないかと思っています。
自分と同い年のアイドルのショッキングなニュースを、繊細な草野さんは長いこと引きずってしまっていたのではないかと思います。
とはいえ、悲しい曲調ではなく、どちらかといえばほのぼのとした雰囲気で優しさに包まれる曲です。
当時のライブでは「聴かない日はない」くらいの、超定番曲でした。
【『シェリーにくちづけ(cover)』から『恋のうた』 1990年5月29日「鳥になっちゃう日」より】
M-5 おっぱい
インディーズ時代からこの曲を聴いてきましたが、当時から
「なぜ草野さんはこの曲を作ったのだろう」
と不思議に感じていました。
大人になった今聴いてみても不思議な思いは依然残りますが、この不定形さがいいのかもしれません。
ちなみに、歌詞カードには
「甘い白いで フワフワで」
と表記されています。
インディーズ時代も
「甘い匂いで フワフワで」
と歌っていると思いますが、これは誤植でしょうかね?

【甘い匂い?甘い白い?1990年5月29日「鳥になっちゃう日」より『おっぱい』】
M-6 死にもの狂いのカゲロウを見ていた
最近は「イントロなしで、いきなり歌から始まる曲が売れる」ということで、もっぱらそこが重視された曲作りが王道だそうですが、そんな寝言はこの曲を聴いてから言って欲しいものです。
イントロだけでなく、アウトロも芸術的なこの曲から『おっぱい』へつながるライブ音源を聴いてみてください。
これをデビュー前からライブで再現するって、恐ろしいバンドです。
【『死にもの狂いの〜』アウトロから『おっぱい』への芸術的つなぎ 1990年6月25日「鳥になっちゃう日」】
まとめ|スピッツは世に出るべくして出たバンド
今回、あらためて『ヒバリのこころ』を聴き、ライブ音源や当時の会報を眺めながら、
「このバンドが世に出ないわけがない」
と痛感したのですが、思えば当時はこんなに息の長いバンドになるとは、正直思っていませんでした。
「鳥になっちゃう日」のホームであった新宿ロフト(当時は小滝橋通り沿いだった)は、アングラで退廃的なロケーションだったこともあり、メジャーシーンというきらびやかなイメージとは真逆。
まだバブルの残り香が漂っていた1991年は、売れていた音楽も景気良さげな曲が多かったので、そこに乗り込むスピッツは大丈夫なのかと、ファン達は気が気でなかったのです。(実際その様子がわかるMCがあったので見つけたらアップします)
やがて『ロビンソン』が一気にチャートを駆けあがり、導火線に火がついたスピッツは空高く昇って、きらびやかな花を咲かせました。
ほっとしたけど、ちょっとさみしい
これが正直な感想でした。
そして、2026年はデビュー35周年ということで、えらい時間が流れたもんだと思って腰が抜けそうになりました。
「才能は続けること。継続できるということが才能である」
誰が言ったか知らないが言われてみれば確かにその通り。
そこに、音楽性、人間性、技術が上乗せされれば、国民的バンドであり続けることも納得です。
草野さんのラジオ番組「ロック大陸漫遊記」
スタートから毎週欠かさず聴いていますが、
「本当に素晴らしいお人柄」
と随所に感じることが多々あります。
そこからはバンドメンバーの風通しの良さや、スタッフさんへの思いやりも感じ取ることができます。
16歳のころはドキドキする音楽体験を与えてもらい、52歳になった今は見習いたい人間性を学ばせてもらっています。
年を重ねるごとに枯れるのではなく、更新し続けるバンド・スピッツ。
15年後、50周年になった時、私はスピッツから何を与えられているのだろう。
考えると、ちょっと怖い。
今ぐらいがちょうどいい。
だって、この理論でいくとスピッツ聴きながらお遍路とかしていそうだもの。
「スピッツは足腰に効く」
とか言って。
まあ、それはともかく、こんなに素晴らしいバンドに早いうちから出会えたのは幸運でした。
いろいろ資料を引っ張り出したので、ほかの記事でも「昔のスピッツ」、まとめていこうかと思っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。


